洒落について、PRについてのいくつかの考え

「洒落のわからんやつと思われるかもしれませんが、本当にコレで住んでる人がハッピーになれるんでしょうか」
 これは、地方PR動画の乱立に関しての話題で、7月26日のMBS毎日放送「VOICE」の西アナウンサーが述べた言葉だ。この言葉は、現代の洒落についての論考を深める言葉なのではないかと思っている。
 洒落とは嗜好品であるという前提はさすがに疑問を持たれても仕方がないとは思うが、かといって戦火の少女がその戦争で亡くなった人をネタにされて笑えるなんてことはないだろう。貧困に喘いでいる人が貧困で笑うのは自虐的なのかという議論にも繋がる話と思う。
 洒落という名で「人を馬鹿にする笑い」が正当化されて、それからそれについての批判が「洒落の分からないやつだ」と逆批判を受ける構図は、なぜ日常で過ぎゆくのみで誰も指摘しないのか。
 Twitterのように、僕も含めたすべての人々が熟成もされぬ考えを即時陳列可能なショーケースが形成されてしまった現状を見て、即時性の笑いをどこまで認めるかの大きな流れを見た気持ちになった。「ジョーク」として流せるのかを自分の頭で考えていくのが本当の笑いなんじゃないかと思うと、漫才とはよく構成された笑いだと気づく。
 ちなみに、僕が「世相を斬る芸人」をことごとく嫌っているのは、彼ら自身は「うまく世間のタブーを斬っている」つもりでも(実際にぶった斬っている人は、案外そういうことは迷いつつもいうものだ)実際には中傷のほかは何も言っていないからだったりする。立川志らく氏の「自分は間違っていると思いながら主張する」くらいの意気がないのが、まったくもって痛く感じるのだ。
 人を傷つけない笑いの素晴らしさをいま一度主張したい所だ。

 さて、今回の話題は「笑い」と言いたいところだが、最初の発言の本旨は「PR動画乱立」にある。
 地方PR動画自体は笑わせて人を招く大きな手段だが、国から支給された補助金で東京の広告代理店が作る仕組みを「地方活性化」と呼ぶかどうかは疑問だ。地方に人が来れば元は取れるが、制作費用が「再生回数が少ない」などの理由で元が取れないと東京の広告代理店だけに利益が回るという、ふたつにひとつの博打と表現できる。
 PRすれば終わりじゃない――それを如実に表す有川浩「県庁おもてなし課」はあまりにも有名だろう。PRするために名刺に観光施設の無料クーポン券をつけて著名人に渡す戦略を、その有名人当人からお叱りを受ける主人公というシーンが最初に残る印象だったのを覚えている。PRして一度お金を落としてもリピーターになってもらわないと、そのPRは「PRのためのPR」になり、その地域に対しての印象が下がってしまうという悪いことずくめの方向へ。
 PRしてからの地方の戦術は何なのか。そして、自然体の地方都市の魅力は何なのか。兵庫という地方都市の密集体から、これからも見届けていきたい。

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