軽々しくマスゴミと言える人に対していくつかのお節介を焼かせていただくことにする

 よくブロガーが「こういう過激なタイトルつけとくと人が来る、あ、タイトルは嘘じゃないよ」戦法を取るので今回のタイトルはそういうものへの皮肉とかそんな感じだ。
 ここ数年のSNS・Twitter(彼ら自身は「情報発信ツール」らしい)の普及で、今までマスコミの報道に不満をいだいていた層がマスコミを批判し始めた。いいことだと思う。マスコミとは本来全体で中世中立を維持するもので、ちゃんと反証意見が出る分にはありがたいことだ。それに、取材時の行動にまだ前時代的な部分が残っていることは否めなかったりするし、あとはマスコミが大人の事情で切り込めなかったことを切り込めるようになったりもしている。
 だからといって、仕事までを全否定するような意見が出ていたり、ちゃんと見ていないで批判する人が増えているので、こんなのはきちんとした指摘に入れることは出来ないと思う。
 俗に言う「マスゴミ批判」だ。
 それが続くようだと、マスコミとSNSなどの補完関係が一気におかしくなることだろう。いやまぁマスゴミって言ってる方からしたらあれだよね、滅んでほしかったりするわけだからいいことなんだろうけど次の文見て。
 ちなみにSNSでのマスコミ批判は今でもネット情報とマスコミ情報半々なので、マスコミが潰れたときSNS側の取材力が強くならない限りはフェイクニュースに騙されますよ、それこそあの局みたいに。

 さて、少々不謹慎ではあるが、きょう発表された小林麻央さんの訃報を例に挙げたい。おそらく卑近な例を出す他に分かってもらえる気がしないからだ。
 まず今日の朝、市川海老蔵氏がブログで「人生で一番悲しいことがあった」と報告。「察してください」と言ったのは、この方が「マスコミ関係者の皆さまもご配慮のほどよろしくお願いします」と言った以前の対応からも適切だったと思う。
 しかしこれを察せなかった人々が騒ぎ出すんだよね。「公式情報があるまでお待ち下さい」とおっしゃった海老蔵氏の思いを察することなく。
 昼ぐらいに訃報が出たらしく、俺も昼飯こぼすくらいの衝撃は受けたんだけど、まぁ昼頃に本人が会見をするということだった。これに「マスコミはなんでこの時間から報道してるんだ、察せよ」という意見が飛んできたらしい。
 いやいや「察せて」ないのはあんたらの方やんけ……。坂上忍ですら察したらしいのに。
 メディア関係者で、そりゃ生前はマスコミの取材を苦々しく思っていただろう小林さんも元はそうなんだから、自分が死んだ後にそんな言われるのはキツいと思うんだけど。

 今回の件に限らず、たぶん「マスゴミ」っていいたいだけで、それで物事の眼目を逃していることは多いと思う。本当に死を悼んでいるのか。
 卑近な例はまだある。国会の政局報道も、殺人事件も。
 もちろん、過去の行動がそれを産んだのだという指摘もあるかもしれない。それはごもっともだと思う。過激な取材を行うワイドショーで育った世代は特にそう思っても致し方ない点はあると思う。
 でもまず「マスコミ」も「SNS」もそれ自体が概念で、それを批判した所で空集合になるだけというのがひとつめ、そして誤報や無理解、果ての無秩序を生む可能性は誰にも等しくあるというのがふたつ。これを論拠として、安易なマスゴミ批判は新たな話題の扇動を生む可能性があると、僕は思う。
 あと、インターネットは自らが正義、という意見に概ね同意する。世論なんてものは別に個人が当てにするものじゃなく、いろいろな情報を元に自分が思ったことをいうのがインターネットであって、正しいようなことに勝ち馬に乗りに行くなんてバカげたことをしているようでは、何も生まれないはずだ。だから、インターネットは理想郷たり得ず、単なるインフラとなったのではないかと思う。
 インフラそれ自体が正義になった瞬間に、そのインフラは一個格が下がる、みたいなものはあるんだろう。

 最後に溜飲をあえて下げさせるようなことを言ってみます。

 ええと、業界人ぶったツイートってあるじゃないですか? 業界人「っぽい」人がやってるツイート。「アタシゃ業界人」みたいな。本物はそんなこと言わないよ的な。
 お気づきかもしれませんがそういうのはダメです。勘弁。
 業界人ならネチネチネチネチエアリプしてねえで絡みましょうよ、ちゃんと既得権益(皆好きそうなワード)やら局の壁やら越えて健全なDisりあいしましょうよ。Disりあった後はノーサイドできたらいいのにねえ。
 人をDisればリスペクトまで、リスペクトまでがDis。
 
 小林麻央を悼む記事はまた別に書きます。こんな陳腐な記事と別のところに棲み分けておかないと、きっと本人に失礼ですし。

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