流動体について、について

 まさか自分が学生のうちに小沢健二の動く姿をこの目に収めることができるなんて思わなかった。と言っても、僕は本当にオザケンファン見習いの見習いで、知っている曲が少ない上に、音源も「刹那」しか持ってないのでどうにも、なんだけど。
 ラジオで流れた「流動体について」は優雅さの権化だった。東京の街を歩いた経験がただの一度しかなく、しかも歩いた場所もまるっきり違うので、アーバンライクな歌詞は想像で補っても不足するところはある。けれど、すべてを包み込む煌めいたメロディー。
 小沢健二が歌った世界観の中で、過去への思考を巡らせて、言葉の無力さを認めながら間接的な影響力を述べる曲は、これからも際立つものになる。怒涛の転調と一見して難解な歌詞から、それは彼自身が辿った(それは東京からアメリカに渡って別活動をしていたあいだなのか、それとも別のことかはわからないけれど)思考の旅を綴ったものなんじゃないだろうか、と連想してみるのだった。

 小沢健二といえば、僕は「強い気持ち・強い愛」が去年の長時間特番のテーマソングに使われたことを思い返していた。あれもストリングス周りは服部隆之氏だったなぁ、と考えながらそれを聞く。聞いた後の多幸感と祭りのあとのような感覚を、うまく味わえる曲だ。神様が魔法をかける、ってこの時の弾けかたを認識しながら。
 確かに「流動体について」と「強い気持ち・強い愛」では環境も雰囲気も違う。「流動体について」について言うならば後者の無責任なまでの明るさがスッと消えて、重みのある曲が完成した、というイメージを僕は掴んだ。

 なんだかイタいことを書いている気がする。多分僕もリアルタイムで彼を認識していたのなら、彼の楽曲やスタイルを好むことはしなかったと思う。実際、当時は評価は二分されていたという話題がSNSでも上がる。
 僕は彼がピークとしてぶち上がった「渋谷系」が好きなのか。もし暇だったらこちらに答えを出してみても良いのかもしれないけれど、なんとも言えない時間のかかる話題だ。なんせ、結構彼らが復活してるからこそ過去の話としてはもう話せなくなっている。
 けれども、「渋谷系」とくくって話すよりも、僕はこの感動と問いかけられた旅情を、今、体感して書いている感じがある。知らない時代に思いを馳せる感じではない。もはや自分は(時系列的でなく、自ら知るという意味での)今の音楽にしか帰着できないし、それならば過去をたどることより今の気持ちを更新しようと思う。

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