人付き合いの愚痴

 他の人の孤独に当てつけるつもりは全くないのだけれど、いま僕は少なくとも孤独からは一ミリくらい離れることが出来ていると思っている。
 ふと中学時代の同級生の活躍を新聞のスポーツ面で知って、そういえば僕はその頃の繋がりはほぼ断ち切ってしまって、ある時に近所で出会って近況を尋ねたり、数少ない旧友に他人のこの頃を又聞きすることはあるのだが、要は自分にとってそれくらいのものなんだということに気づいた。
 あまり良くない思い出を抱えたまま、高校でさらに三年間過ごすのは耐えられない、と当時の僕は思ったのだろう。圧倒的に正しい判断だと思う。
 しかしその直後はよくセンチメンタリズムに陥ったものだ。たかが中学生に毛が生えたようなものである。そりゃなる。
 若かりし頃(今も若かろうが)の苦い経験を活かしきれてはいないが、今は昔に比べて人付き合いはうまくなったのではないかと思う。嘘が下手なので、少なくとも本音と建前を使い分けられる器量はそんなにない。相手がそこをわきまえて話しているとすれば別だが、もしそうだとしても腹を割って話せる関係に近づけるのなら、この関係を保っていたい、と珍しく思うようになった。
 僕はこれに似た思考を過去に三、四回しか持ったことがない。言い換えれば、それ以外の人付き合いはそんなに言うほどでもないわけだ。もちろんその思考の詳細を書き記すのはエピソードというより個人情報に近いので差し控えるが、その一つは去年の8月にあった2つの出来事と、それに関わる人々だ(SNS経由で知り合ったからこその儚さを今になって思う)。
 人との付き合いが下手だから、下手なりによく考えてものを話そうと思っている。テキストベースなら猶予時間は多くある。人対人ではどうか。何故そうなったとき話せなくなるのか。
 せめてこの比較的温暖な日々の中で見つけていけると良いんだけど。

 次はまともな記事書きます。次がいつ来るかは知らないですが。

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