「ショートショート=漫才」論

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 ▲M-1グランプリ2016。僕は和牛がスパイス効いてて好きでした

 創作においては、特に小説においてはいくつかの種類に細分化されるものである。短いものであればTwitterのツイートの文字数である140字から2000~8000文字程度の掌編、もしくはショートショート。もしくは大抵8万字くらいが一般にみられるような、長編小説。ネットの場合では、連載という形が創作小説の流通モデルとして一般である。

 今回はその中でも前者について、「ショートショートとは漫才である」という持論を展開していきたい。その前に、ショートショートについて見ていくとき、さらに一次創作と二次創作で分けて考えていきたいと思う。

 大前提として共有されているのは、少ない文字数の制限からテーマの一貫性が強いというあたりである。まぁ、当たり前でもある。最初に書いていることと結末が関連付けられなければ、その文字数の制約内では相当奇天烈で読みづらいという印象を与えることになりかねない。

 一次創作のショートショートで真っ先に思いつくのは、やはり星新一である。登場人物のシンボル化、読み進めていけばわかる不気味さと、隠れている未来への皮肉(未来を予見していたのかどうか、それは神のみぞ知る)。読んだ人に突き刺さる印象的なものだ。その彼でさえ、テーマの一貫性は逆説であれど貫かれている。「白い服の男」では「戦争と平和」を、それ自体は多くも語らないものの、問題提起してみせた(ととることができる)。

 二次創作のショートショートは、主にネット創作界で発展していったものである。創作サイト「Pixiv」では盛んにアニメなどの二次創作の文章が投稿され、そして気軽にそれを閲覧することができる。その小説の根底にあるのは、大抵「キャラクター愛」か「カップリング愛」か「作品愛」のどれかに当てはまるのではないか。だとすれば、ワンテーマで掘り進めていくことはとても二次創作では効率がいいことだろう。どれかの愛を深める・伝えるための要素を設定してやって、ストーリー立てして書く。必然的にテーマは貫かれるということだ。

 このようなテーマの一貫性は、制限時間の限られた漫才においても特色になっている。漫才もまた脱線・ボケはあれどワンテーマの貫通が用いられ、それが守られることによって安定した笑いが生まれる。無計画的なネタが短期間で息切れしやすいというのは実はよく言われていることなのかもしれない。いいネタはしっかりとした構造に支えられているものなのだ。

 ワンテーマ貫通が漫才にもショートショートにも用いられているとともに、「準備されたとっさの機転」がスパイスを効かせているのもまた共通する特徴だ。いいカレーには香辛料がいい具合に使われているように(レトルトは知らん!)いい小説、いい漫才にはいいスパイスが効いている。それは小道具かもしれない。漫才で言うボケ、小説内での危機の重ね撃ちや伏線かもしれない。よく見ればそれは最初からしっかりと準備されて、そしてそれは観客に種明かしされているではないか。

 そういえば、一次創作に限って言うと、作家は本当に芽の出る人数は限られている。そして漫才師も賞レースで輝かぬ限りは、また芽が出ることはない。彼らの人生に於いてまで類似性が認められるとはなんという偶然なんだろうか。どんなに強烈な光を放っていても、輝けるのはわずかな数。創作は彼らの人生を切り取ることもあるのだろうか。ぜひそうなら読んでみたい。

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