遅い世界の必要性 ~SNSと批評から


 つい最近に呟かれた作家である坂上秋成氏のツイートが、ここ数日、自分に常に問題提起している、という話をします。
 文脈を捉えてまとめてみると、「作家が自分の作品を宣伝するのは、今の社会・経済状況の厳しさを鑑みても、何らおかしいことではなく、そして作家と消費者の関係や意識は変化していくべき。作品は今や初動で決まりつつある」ということから、消費者のあり方を提起した上で、批評とインターネットについて、

 


 という考えをツイートされていました。
 僕の欠点は、一点突破の文章しか書き尽くせないことです。一本筋の文章はネット社会と相性がいいんです。誤解を招かせる暇もなく展開される理論は、初動の早さによって広まっていくものです。一方の批評は、幾本の筋が一本の筋にまとめられて主張が考えられていて、読むのに時間を要し、得てしてティーンズに評価が低く、初動の遅い作品をアシストしようとしても批評自体も初動が遅いのでなかなか広まらないという悪循環に陥りつつあります。

 SNSによるタイムレスなコミュニケーションで、物事を時間を費やして考える、という動きは――そういうことがないわけじゃないんですが――起こりにくいんだ、と思うべきで、かと言って出版メディアだけで思考の不足を補うことはもはや不可能なこの時代に、「遅い世界」は果たして物理的に可能なのか?
 僕は初動の速さはメディアすべてが持ちうるべきものであると思いつつも、文芸美術批評的にはそれを封じて、「あえて時間を置く」場所があっても良いのではと思うのですが、そうは言ったって人の流れは常に流動的で止められない。例えるなら、渋谷の歩行者天国から誰か一人だけをつるで引っ掛けるようなことで、例えばその時だけは連鎖して多くの人が将棋倒しになったとしても、次第に人はそれを避けて通るようになるだけ。そんな気がしてしまいます。

 では作者の立場からすれば、メディアアピールをできるだけ早く掴むことが一番なのだろうと思います。特にミュージックシーンに顕著で、岡崎体育は特に「MUSIC VIDEO」のMVの拡散力は爆発的だったと言わざるを得ません。
 しかし一方で、先日のHi-STANDARDの告知なしCD販売は、もともと絶大な知名度があったとは言え、口コミで広まっていったのが特徴的です。この両者にどんな違いがあるのでしょう。
 そりゃあ、インターネットと事前告知なしという根本的な差はあるでしょう。しかし、そうではなく、その「口コミで認知度が爆発的に上がった」という現象、終着点においては、差がないといえると思うのです。両者とも、口コミだけに頼らずに作品の魅力を伝え続けて成果を出したのです。

 「遅い世界」を持たない10代の荒波に揉まれた僕は、古い本の文体に遠い思いを引き寄せるように読書し続けて、地道にでも初動の遅い作品を後押ししていく役割を持つメディアがあってもいいんじゃないか?と思いつつも、新しく生まれたものが初動の推進力を惜しみなく使わないと息切れしてしまうのだから、遠慮なんかしないで宣伝して欲しいと思うのです。
 年を取って、会いたいと思う作品に合うことが出来なくなるのだけは嫌だな、と思いつつ。

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